てごねっと石見

女子サッカーワールドカップ決勝戦が終わりました

 

日本VSアメリカという

因縁めいた でもこれ以上はない好カード

 

絶対的に不利な体格差

これまでの戦績を見ても

個人の技術レベルを見ても

どう考えても勝つのは難しいと思えるカードだったんですけど

不思議と負ける気がしなかったのは

なでしこジャパンのチーム力への期待があったからでしょうかね~

 

 

 

 

あの完全アウェイ状態の空間で

大人と子どもほどの差にも思える体格の選手に対し

最後までよく食い下がり走りぬき

意地を見せたなでしこジャパンの戦いぶり…

 

これで最後のワールドカップと表明していた両国のトップ

澤選手とワンバック選手

ワンバックがピッチインした時の2人のタッチと 試合後のハグ

怪我で戦列を離れざるを得なかった安藤選手の決勝ベンチでのあの表情

自らのミスが失点を呼んだ岩清水選手の拭っても拭ってもあふれる涙

敵ながら見事としか言いようのないロイドのハットトリック

 

様々なドラマに

 胸をうたれっぱなしの90分でした

 

 

試合終了後には悔しい思いがあったんですけど

時間がたつごと

なでしこの 30日を振り返るごと

すがすがしい気持ちにさえ…

 

 

負けはしましたが準優勝

世界2位ですもんね

すごいことだなと思います

 

 

次なるステージが楽しみですね

 

 

 

というわけで


 

本日10時OPENのブンテンでした(;'∀')

 

 

 

 

☆ 西町へようこそ ☆

 

 

NPOてごねっといわみのスタッフさん 隠岐上陸する の巻

 

江津駅前の活性化などで最近よく話題になりますね

NPO法人てごねっと石見さん

 

 

ご近所さんのA氏つながりで

講演会前日に

ゆっくりお話する時間を頂くことができました

 

 

飲みながらのバカ話

具体的に書くのをためらうくらいのあんぽんたんな構想でもりあがる…笑

 

でも

もしかしたら

そのあんぽんたん構想の中には

この島の将来をちょこっと楽しいものにするかもしれない

そんなキーワードとヒントが見え隠れ

(^'^)

 やっぱり

まずは自分たちが楽しめるって大事だなと

しみじみ思った夜でした♪

 

 

 

 

それにしても

今江津はアツいことになっているみたいですね~

 

私が知っている頃の江津は

バイパスも整備され浜田・益田への通過点となっていて…

 なんとなくうら淋しいイメージのある町でした

 

 

それが 今や

 

頂いたパンフレットの中の人々も

ネット越しに見る町も

ちょっと様子が違ってきています

 

 

あの町が

どうやって息を吹き返し

どうやって賑わいを取り戻していったのか

 

もっと詳しく聞いてみたい

 

 

いつか江津を訪ねてみたいと思いました

 

 

 

 

ということで

今日は講演会の前に

てごねっとチームのみなさんをご案内して西町散歩

(^'^)

 

ブンテンでかる~く珈琲を飲んだあと


西町のボスにご挨拶♪

和菓子の老舗 秀月堂さん


イチオシのおみやげ「サザエ最中」を試食中♪

サザエの殻の形の最中がかわいいんですけど

食べてびっくり

あんの中にはオモチが!!


オーブントースターでかる~く炙るとおいしいそうです♪




次の寄り道ポイントはココ


隠岐の地酒を扱うお店 毛利酒店さん

 

こののれんは

昔の法被をほどいて暖簾に仕立て直したものなのだそうですよ

 

 

毛利のお母様にご案内いただいて

蔵もちょこっと見学させてもらうことができました



実際に使われていた勘定帳

当時の日々の仕分けがこの帳面にあれこれ記録してあるんですね~

まだまだ貴重な資料があるに違いない

(^'^)

 

 

 

さてさて

いい匂いにさそわれるようにここへ♪

西町のパン屋さん 木村屋パンさん

 

 

ちょっとレトロなパンの袋が見え隠れ♪

 

カステラパンとか…懐かしくないですか?

 

 

 

最後はやっぱり愛の橋

いい川風が吹き渡りいいお散歩日和でした

 

 


 

 

 

 

~『愛の橋』について~

風待ち商店街サイトより

 

西郷湾へ流れ込む八尾川の下流に

まだ二つの橋しかかかっていなかった頃

風雨の中を遠くの橋から学校へ向かう

小さな女の子の姿を見た藤原金市(藤原金物店店主) は

この場所に橋をつくろうと決意する
           

わしは、どげしても橋をかけたい

指向(港町)も西町も大変便利になるし

小学校に通う子らも遠回りせんですむ


   昭和4年9月25日

藤原金市が私財を投げ打ってできた橋を

金市は自分の信条「なんじの隣人を愛せよ」から

「愛の橋」となずけた