福河童大明神祠の鳥居には・・・・

食中毒警報が出てたらしいよ?と聞いたんですけど

ほんとう!?

 

 

確かに12月にしてはあったかい過ごしやすい1日でした

先日の雪交じりの寒さがうそのようです

天気予報ではクリスマス近くにまた寒波がくると告げていましたけどね

 

 

ところで

 

 

ブンテンのお隣には実は店長さんのお兄さんの家があります

その両家にはさまれるように

河童のほこらがあります

 

福河童大明神の祠

 

観光客さんもよく立ち寄って写真を撮ったりしておられますね

 

 

 

さて

そのかっぱ様の祠の鳥居

これが新しくなりました

 

新しく奉納された鳥居を見上げて何やら語っている店長さん兄弟

 

 

実は

この鳥居の文字

 

 

もうずっと以前に亡くなった店長さんたちのおじい様が

書かれたものなんだそうです

 

もちろん もう亡くなっておられるわけで

新しく書いていただくことはできません

 

以前の古い鳥居に掲げてあった札

これがおじいさまが書かれたものだったそうですが

雨風にさらされて

文字もかすんでしまっているものを

某工務店の方がなんとかスキャンで読み取り

復元してくださったのだそうです

 

 

技術もすごいね~と思いますが

そうしてこの文字をまたここに残してくださったことが嬉しいですね

 

「じいさんの字か~・・・ やさしい字だな」

店長さんも感慨深げに見上げてました

 

 

 

というわけで♪

 

 

 

おじいさまの文字がかかげられた鳥居をはさんで

兄弟なかよくくらしております(^'^)

 

 

 

♪♪♪おまけ♪♪♪

 

「隠岐に伝わる河童伝説」

 

 

昔、隠岐の島町西町の八尾川のほとりに、屋号を唐人屋と言い、

名前は九兵衛と言う男がすんでいました。

彼は、毎日田んぼや畑に通って百姓仕事に精を出していました。

ところが毎年決まった時期になると、

畑のキュウリが何物かに盗まれてしまうのです。 

最初は高々キュウリぐらいと思っていましたが、

こう毎年毎年盗まれては九兵衛も次第に腹が立って来たのです。

 

 そこで九兵衛はこの盗人を捕まえてやろうと、

ある日、朝霧がまだ降りないうちに八尾川沿いの畑に行きました。

 そして、トウモロコシの陰に隠れてそっとキュウリ畑を伺っていると、

出てきたものは人間にあらず、

頭に皿を載せた河童でした。

 

河童は九兵衛が隠れているとも知らず、

悠々と大きなキュウリを盗んでいったのです。

 あまりの事に九兵衛は驚いてしまい、

あっけにとられたまま、河童を逃してしまいました。

 

 「よし、今日は逃がしてしまったけども、明日の朝は逃がしはしませんぞ」

 

九兵衛はそう言って夕方までに河童の上がってきた土手に

沢山の藁しべを敷きました。

そうしておいて腰に刀を差して昨日と同じ場所で

息を殺して河童のくるのを待ちました。

 

 しばらくすると

河童が現れキュウリを一本、二本と盗みかけたとき、

九兵衛は大声で、

「この曲者め!」

といって追いかけて行きました。

 

河童はびっくり仰天、慌てて逃げようとしましたが、

敷き藁の上で滑って転んでしまい、

頭の皿の水をこぼしてしまったのです。

そして動けなくなってしまったところ、

九兵衛の刀で左腕を切り取られてしまいました。

 

 河童は腕を切り取られたまま、川の中に逃げて行きました。

 

九兵衛はやったとばかり、その腕を家に持ち帰り、

良さそうな大きさの箱に入れ押入れの奥深くに仕舞い込みました。

 すると、その夜中に家の戸袋をたたくものがいました。

九兵衛が耳を澄まして聞いていると、

なんとも哀れな声で

「九兵衛様、どうかお許しください」

と言う河童の声が聞こえてきたのです

 

「お前はキュウリを盗んだ河童だ。そんなものに腕など無い方がよい」

 

 しかし、それから毎晩毎夜河童の声が外から聞こえてくるのです。

そして7日目の夜、九兵衛の女房が、

あれほどまでに泣いて頼んでいるのだから、返してやってはいけませんか」

と言いました。

 

河童はうなだれながら,部屋の入り口のところまで来て、

「お許しください。これからは旦那様の畑のものは決して盗みません。

ですから、私の腕を返してもらえませんか。

切れた腕が7日を過ぎれば元のように戻らなくなるのです。

今日がちょうどその7日目なのです」

と言って泣き九兵衛夫婦に嘆願しました。

「いやいや、畑を荒らさぬのはもちろんのこと、

唐人屋子々孫々の尻子玉を取らぬと約束して見せよ」

と言って、河童に詫び状を書かせ、

それと引き換えに押入れから取り出した腕を返してやりました。

 

 河童はその腕をいただき、何度も礼を言いながら帰って行きました。

 

 河童が書いた詫び文はその後失われてしまいましたが、

河童の腕を切り落としたとされる脇指しは

今でも九兵衛の子孫にあたる唐人屋松岡宅に家宝となって残っています。

 

 そして、その詫び状を書いた河童は、

翌日から毎朝九兵衛のところへ魚を持って来て、御礼の心つくしをしました。毎朝、九兵衛が自分の家の門を見ると、

沢山の魚がぶら下げてあったのです。

そして九兵衛は、

「河童は古くから福を持ってくると言われているから、

何も一切の縁を切ることもなかろう」

と言って、自宅の邸内にひとつ、

八尾川の対岸にひとつ、

合計二つの祠を立て河童の神霊を祭ってやりました。

これが今も残る「福河童大明神」」と言われる祠です。