ドラゴンじいちゃん

「落花浴び 風の變(へん)幻浴びにけり」 虹二句 母 書
「落花浴び 風の變(へん)幻浴びにけり」 虹二句 母 書

『ちょい旅』の旅先は実家でした。じいちゃんの見舞いに。

94歳になる私のじいちゃんは、龍吉という名前です。名前はその人のイメージを表すといいますが、まさに、ドラゴン。こんなに名前と人間のイメージがぴったりな人は、見たことがありません。 私の息子たちは「ドラゴンじいちゃん」と呼びます。

 

「もう1回旅行に行くとしたらどこに行きたい?」と尋ねると「アマゾン川」と即答するような人です。元気なころは、あちこち、ほんとうにあちこち歩き回っていた人です。

 

「人生、一番いいときっていつだった?」と尋ねると「戦争時代」と言ってしまうような人です。お酒が入ってからは、戦争話がつきません。

 

大酒のみです。私のじいちゃんですから(笑)老酒だってがぶがぶ飲むような人です。

 

大男で、片目(戦争で片目を失いました)。独眼竜、まさに(@_@;)ぎろりと睨まれると大変です(汗)

 

でも、私たち孫をあちこち散歩に連れ歩き、大きな指で器用に遊び道具をこさえては驚かせてくれ、大人になってからも酒を酌み交わしつつ自分の体験談を語って聞かせてくれるような人でもあります。

 

動物も好きでしたね。いろんな動物を飼ってましたし、乗馬クラブに連れてってくれたりもしました。…私はふり飛ばされましたけど、ウマに(涙)

 

面白いもの、新しいものが大好きで、いろんなビデオ・DVD全集を集めてみたり、ほら、と組み木細工をみせてくれたり、風体ににあわぬような子ども心も持ち合わせていたりするから不思議なものです。あんなに恐ろしい(笑)顔なんですけどね。

 

『憎まれ口の天才』と称した人もいたほどで、辛辣な一言は有名。

そうかと思えば、俳句の腕はなかなかでした。なにより博識で言葉の意味を大事にする人でしたから、五七五の短い文の中に思いをこめてことばを紡いでいくことができるのかもしれません。自分の句集を出版したりもしていました。 一つしかない目玉が白内障で見えづらくなり、あんなに熱心だった俳句もよまなくなってしまったと聞いています。人生の節目には超達筆で手紙をくれました。いくぶん勝手に想像しつつ読む必要も(汗)最後に手紙がきたのはいつだったでしょうか。私の転職を祝い、自分の人生、おまえらしく思うように、と。

 

 

じいちゃん、ばあちゃんっこの私にとって、43歳になる今になっても、こうして大好きなじいちゃんがいてくれるということ、とても幸せなことだと思っています。

 

来年は龍年です。

じいちゃんの歳です。

元気で迎えてほしいと心から思います。

 

・・・写真について・・・

私の母の作品です。自分でこんだけかけたらいいだろうな~…。